Create a new work style

~副業から起業を目指すサラリーマンの日常と備忘録~

Creative mind in the business

副業と起業のためのクリエイティブ・マインド

副業サラリーマンできあがるまで⑲ ~会社の会計に触れる~

「学べば学ぶほど、自分が何も知らなかった事に気づく、
  気づけば気づくほどまた学びたくなる」
   (アルベルト・アインシュタイン)

自己紹介がてら振り返る歴史⑲

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経理システムと簿記に触れる

新しいビジネスの事を考えながらも、日々の仕事は相変わらず続いています。そんな中、職場の経理システムを一新すると言う事になりました。何でも以前より使っていた経理ソフトのリース契約が終わる事になったらしく、新たに更新する際にソフトのシステムのバージョンを刷新しなければならないと言う事もあり、専門的な経理ソフトなので、再リース契約になるとの事が発端で、更にお金がかかると言う事に憤慨した新社長の方から「この際だから、もっと一般的で安い物に変更する。」と言う考えに至ったためです。

さて、それではその変更作業は誰が行うのでしょうか? 話を振られた経理のスタッフさんはパート従業員さんで、「入力ぐらいの作業ならできるけど、さすがにソフトの更新や設定なんて、おまけに今までの膨大な経理データの移動を扱うような怖い仕事はさすがに…」と泣きが入っている状態です。いくらバックアップは残っているとは言えど何かあったら確実に自分のせいにされると言う不安も新社長に対してならあり得ます。

何とかお願いできないか? と白羽の矢は僕の方に向かって飛んできたのでした。色々と手間も問題も出てきそうではあるのですが、他に任せられそうな人はおらず、言いだしっぺの新社長が自ら率先してするような事はまず有り得ないので、経理と言う点では専門外ではありますが、パソコンのソフト更新などの知識に明るい部類の僕が担当する事になりました。ちなみに経理作業にまで手を付けるとなると、会社の仕事は契約などの社長業を除けばほぼコンプリートです。小さい会社ならではですね。

なにはともあれ、専門的な以前の経理システムから、新たに導入される事になった一般的な会計ソフト弥生会計へと得意先や仕入先のデータを移行する作業が始まりました。データ自体はCSVデータなどを使ってスムーズに移せたのですが、納品書や請求書の書式や表記などが、当然ながら以前の書式と大きく変わることになります。得意先さんはもちろん社内の従業員にも違和感なく使えるように書式をカスタマイズしたり、伝票の入力や発行などのテストを繰り返す日々が続きます。小さい会社ではありますが、日々様々な取引が行われているんだなぁ、なんて事や、自分で商売するなら会計ソフトもあった方がわかりやすいのかも? などと思いながら、仕事をしながら少し簿記の勉強もしつつ日々の更新を行っていた僕でした。

そんなイレギュラーもありつつ、無事に経理システムは新しいものに移り変える事ができ、通常の業務のみに戻ることになったのですが、新しい体制と、今置かれているオールマイティな状態から、色々な思いは溢れに溢れ、「やっぱり何か副業を始めなくては!」と言う考えは日に日に大きくなっていくのでした。そして重たい二足わらじをついに踏み出す日が近付いてきたのですが、それはまた次のお話です。

それでは今回はこのへんで、ごきげんよう

副業サラリーマンできあがるまで⑱ ~創業者と後継者の目線~

「人の強みよりも弱みに目がいく者をマネジメントの地位につけてはならない。
  人のできることに目の向かない者は組織の精神を損なう」
   (ピーター・ドラッカー)

自己紹介がてら振り返る歴史⑱

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環境の急変と崩壊の予感

後輩君とのチーム仕事に慣れ、日々の新しい業務の流れも安定してきた頃、またまた社内に大きな動きが起こります。以前より、引退を考えていると口にしていた社長が、ある年明けの節目を機に引退する、と宣言したのです。僕が入社するずっと以前よりこの話は出ていたそうなのですが(笑) 年齢的なものなのか、新たに社員が入って多少の安定感を感じてらしたのか、ついに公に代を息子に移すと宣言し、世代交代が起こることになりました。

何がどう変わるかは予想できませんでしたが、明らかに社長と坊ちゃんでは仕事に対する考え方が違います。元々、営業畑の社長は小さい得意先もコツコツ繋げながら安定した経営を心がけていた人でした。営業の後輩君も、社長の面接で入社していると言う事もあり、社長の営業イズムを引き継いでいるようで、小さくとも各得意先に顔を出して、足を使って売上を作っていくタイプの営業スタイルを大事にしている人でした。が、坊っちゃんはと言うと一攫千金型で、小さい得意先なんかはいいから、とにかく単発でも大きな取引をドーンと当てたい! 無名の得意先の中規模な仕事より、自慢につながるような有名な得意先との実績を、と言ったタイプの人です。実際に少しロットの大きい単発の仕事は過去にありましたが、それから繋がっている事はほぼありません。これは会社としてはとても怖い事です。

新体制が発足してからはと言うもの、社内の細かい所を自分好みに是正していくとばかりに、様々な事に口を挟むようになった新社長の坊ちゃんは、この後輩君の営業スタイルにも苦言を呈するようになってくるのです。「チマチマした売上を追いかけたってダメだ、もっとおっきな仕事をドーンと取ってこないと!」言いたい事はわかりますが、塵も積もって土台が成り立っている会社です。小さくとも日々の売上が無くなれば会社自体の存続にも関わります。元々、父親のやり方に反発していた人なので、父親と同じような営業スタイルで作られた結果に反発したかったのだとは思いますが、現実的に後輩君の実績が営業利益の多くを占めていたのが現状です。

そして僕が彼のサポートをしていたのも気に食わなかったのでしょう。「本来WEB販売が専門なんだから、営業に時間取られてる場合じゃないでしょ。あんまり甘やかさないで自分の仕事をするように。」と、僕の仕事にもチクリと釘が刺されました。色々な仕事がやりにくくなるかなぁ~とも思いながら、起こってしまった事態は今更どうにもなりません。昔からいるパートさんは「完全に世代が変わったらこの会社は終わり。」なんて事も苦笑いで言っておられる始末です。しかしながら、現実的に経営と言う面で考えたら、経理の数字もまともに目に入れない、社内の人間ともほぼコミュニケーションを取らない、会社全体の流れを把握していないし、新たに作ろうともしない、そんな新社長の事を考えると会社の先々には大きな破綻が待っているのでは? これに関しては社内のほぼ全ての人間が、同意見を抱いていると考えられるから笑い話にはできない事なのです。

幸いにも社長は完全引退と言う事には至らず、会長職として今後も会社に関わり続けていくとの事なので、その点に関しては少しホッとしたのですが、現場のスタッフさんとも後輩君とも馬が合わない新社長の新体制の発足に、もう一つ二つ波乱が起こりそうな予感を残しつつ、僕は「いつまでも会社に頼っていられるわけではない」と言う気持ちがより大きなものになってきました。そして、改めて自分で何か始めなくては、と言う気持ちに拍車がかかります。

足元が少し不安定になりつつも、少しずつ動き出そうとしていた僕ですが、大きく背中を押されたのは「将来への危機感」と言うのが大きな要因でした。

それでは今回はこのへんで。それではまた、ごきげんよう

副業サラリーマンできあがるまで⑰ ~具体的になってきた未来像~

「いつか空の飛び方を知りたいと思っている者は、
  まず立ちあがり、歩き、走り、登り、
   踊ることを学ばなければならない。
    その過程を飛ばして飛ぶことはできないのだ。」
  (ニーチェ)

自己紹介がてら振り返る歴史⑰

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マインドマップで描く未来の図

色々と忙しい日々を送る中で、ふと言われた事をきっかけに改めて考えるようになった「自分で商売をする」と言うこと。当時すでに社内のほぼ全ての仕事に携わっていた僕だったので、考えてみればそんな事も可能なのかなぁ? などと思えるようにもなりました。とは言え、自分で仕事をするとなれば、考えなければいけない事も、やらなくてはいけない事も色々と出てきます。そこで一旦、自分で仕事をするのであれば、何をしてどう進めて言ったら実現しそうか? と言うことをまとめてみる事にしました。

自分の考えていることを形にする時にどのようにまとめるか、これに関しては人それぞれあるかとは思いますが、僕が当時も今も重宝しているのはマインドマップと言われる物です。ご存知の方も多いとは思いますが、紙などに決められたテーマを書き、そこから関連するヒントや問題点、キーワードなどを放射状に広げていくことでイメージを形にしてまとめていき、また新たな問題点などを見つけるためのノート術、まとめ術の様なものです。

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まずは漠然とあった「ビジネスの形」として、元々WEB制作や管理に携わってきた人間なので、ショップを新たに自分で作ることは可能だろうと思い、現実的に実現できそうな形として「ネットショップ」と言うビジョンがありました。では、どのような立ち位置での商売にするのか? 一般的なショップと言うのは、セレクトショップのように店主がオススメする様々な物を紹介し、販売するショップが一般的です。言うならばバイヤーとしての立ち位置での販売です。その方が販売する商品も多岐に渡って扱う事ができ、エンドユーザーへのアプローチも広角的です。

だけどせっかくここで覚えた製造の知識や技術があるのだから、それも活かしたい。と言う事で、自分がデザインした商品を販売するブランドとしての展開を考えました。こちらは言わばメーカーとしての立ち位置からの販売です。もちろんそうする事によって他社の商品を売りづらくなると言う考えはあったのですが、元々資金力なんてもの自体があってないような状態でしたし、仕入れのルートすら持っていなかったので、オリジナル商品を開発して独自性と言う部分での価値を作っていく方が将来的に安定するのでは? と考えたこともあったからです。

後は断片的に出てきたアイデアやキーワードを、マインドマップにつらつらとまとめていきながら、具体的なビジネスの形が徐々にではありますが作られていきました。形になっていくにつれ、しなくてはならない事が次々に浮き彫りになって正直、「これはなかなか手間のかかる事になりそうだ…」なんて気が滅入りそうになる事もありましたが(笑) 長年に渡って漠然と思い続けていた事をついに形にできそうな所まで持ってくる事ができたのです。

仕事の合間や帰ってから、思い当たるヒントや問題点などをひたすら書きおこしては考える日々が続きました。自分の思い描いていた事が実を結ぶ、その種まきを始める準備が着々と進んでいったのです。もちろんその全てが一筋縄では行かないわけですが、それはまた次の機会と言う事で。

今回はこのへんで、それではごきげんよう。

副業サラリーマンできあがるまで⑯ ~ものづくりの現場に触れる~

「発見とは、準備された心と出会う偶然の出会いであると言われている」
 (セント=ジェルジ・アルベルト)

自己紹介がてら振り返る歴史⑯

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現場仕事の志

様々な社内の仕事を覚える中で、ついに僕にも研修とも言える仕事ができる機会が訪れるようになりました(笑) 様々なOEM商品を企画する中で、商品が作られていく過程を知っておかなければ、と製造の現場にお邪魔して、自分でもそれに携わってみようと思い、製造作業を覚える事になったのです。

主にオリジナルTシャツなどのOEMを企画していた為、作られたデザインがどのようにしてプリントされ、商品になるのかまでの一連を勉強しながら体験する事になったのですが、一般的にシルクスクリーン印刷」と言われるプリント方法で、プリントの元となる版を作り、生地に版を通してインクを載せる事で、デザインの部分だけにインクをプリントしてくと言う、極一般的なプリント方法です。学生時代に工作の時間で同じようなプリントをした事があるのを、ふと思い出し、懐かしい思いになったことを覚えています。

もちろんプリントする技術は単純なようでも奥が深いもので、素人の僕がプリントしたものと熟練の現場さんがプリントしたものではインクの載り方や、プリントの精度に違いはありましたが、意外にもTシャツになるまでの過程はとてもシンプルなもので、プリント作業自体も極原始的な作業であったことに驚いたのを覚えています。他にも社内で製造しているプリント技術を色々と学びながら、得意先さんから色々と投げられる要望にどのような技術で応えるかを考える日々が続きました。

そして出来上がった商品はもちろんそのまま出荷すると言った事にはできません。次は梱包と出荷作業です。Tシャツを商品として仕上げる上で必要なネームや(襟ネームや洗濯ネーム、タグとも言われるヤツですね)、仕上がった商品に取り付ける下げ札などの内容を改めて見返し、色んな注意書きがあるもんだなぁ、なんて思いながら商品をたたんでは梱包し、またたたんでは梱包、を繰り返し…。お客さんの元にお届けできる状態まで作り上げる事ができたわけです。

企画から製造・出荷まで、Tシャツ作りの一連の流れを覚えた頃、ふと経理のパートさんが一言「会社の仕事一通り全部できるんだから、自分で会社すればいいのに」なんて冗談交じりに言われた事がありました。いつものように得意先さんの納品伝票を作りながら、「確かにこの納品元が自分の名前なら、自分の商売なんやなぁ」と思うようになりました。前から思っていた「いつか自分で商売ができたら~」なんていう考えを少しずつ形にできそうな予感がしだしたのはこの頃です。ひとつひとつ知識や技術が身につく事で構想が実感になり、それは後に形になることになります。

それでは今回はこのへんで、ごきげんよう。

副業サラリーマンできあがるまで⑮ ~新しい仲間、新しい視野~

「人生は一人じゃない 二人三脚で走らねばならんこともある」
 (手塚治虫)

自己紹介がてら振り返る歴史⑮

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チーム ~営業職としての目線~

先輩の退職後、しばらくは実質的な社員が一人の状況が続きましたが、程なくして新しい営業職の社員さんが入社することになりました。今度は社会人経験も少ない20代半ばの若手社員です。僕や先輩とは違い、職場全体の仕事の流れなどを大まかに経験しながら覚える研修制度もあり、少しずつ職場に慣れていってくれました。それもそのはず、今回は社長が面接し採用を決めた事もあり、一人前になるまでしっかり研修させる、と張り切っていた事もあったのかと思います。(僕と先輩は坊ちゃんの面接・採用)

真面目で吸収意欲もあり、スイスイと仕事を覚えてくれた後輩君は人懐っこい性格もあって、すぐに職場のパートさん達にも受け入れられる存在になりました。当時僕は、WEB企画・販売に加え、商品のデザインも一部任されるようになり、WEBデザイナーとしてのコーディングなどの仕事よりも、商品デザインが日々の仕事のウェイトを大きく占めていくようになり、後輩君の仕事のフォローとデザインや企画の参考に、と言う事で営業や打ち合わせの席に同席する機会も増えてきました。

 それまでは日々内勤でパソコンのモニターとにらめっこの日々だったのですが、外に出て色々な人と話すと、当たり前のことですが、商品に対してもお客さんに対しても、もちろん売り方についても、バイヤーさんによって考え方が様々あることに改めて気づかされます。そしてやっぱりいい息抜きになりますね。今まで凝り固まっていた自分の考えがほぐされていくような、色々な気づきに出会えた日々でした。

 営業畑出身の社長からすると、社員が外に出て動くことには凄く寛容で、営業職でない僕が営業職まがいの仕事をする事にも喜んで賛成してくれていました。得意先依頼のOEMの案件なども少しづつ増えていき、次第に商品の製造に携わることも増えていくことになると、僕の仕事は多岐にわたるようになってきます。それに伴い、未研修だった社内の仕事などにも色々と携わることになり、結果的に企画・デザイン・製造・納品まで、一貫して社内の仕事に携わっていく形になりました。

 そうして後輩君ともお互いフォローし合いながら得意先の案件をこなしていく日々が続きます。得意先によりイレギュラーな案件もありましたが、お互いの得手不得手をカバーしながら、良いパートナーとして仕事に取り組めていたと思います。入社当初のWEBデザイナーと言う肩書きはどこかへ行ってしまったような日々でしたが(笑) バタバタとしながらも新しい事を楽しみながら仕事ができていた状況でした。

社内にも後輩君が入り、馴染んできてくれた事もあり新しい風が吹いてきたような日々です。しかしまた、爽やかな風が濁るような事態が起こりつつあるのでした。その続きは次回と言う事で。

それでは今回はこのへんで、ごきげんよう。

副業サラリーマンできあがるまで⑭ ~会社の体質と同僚の退職~

「責任には実行責任と結果責任のふたつがあります。
  実行責任は部下に100%ですが、
   結果責任は部下を指示した上司に100%です。
    古い表現ですが、「骨は俺が拾ってやる」という心意気です」
    (新 将命)

自己紹介がてら振り返る歴史⑭

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営業職に求められるハードル

入社後数ヶ月が経った頃に、社内会議をしよう、と言う話になりました。数ヶ月なかった事にも、改めて考えるとビックリです(笑)

会社の今後の方針や、各々の仕事の報告などをして、今後の全体の方向性などを話し合うのかな? と、先輩と話していたのですが、いざ会議が始まると、まずはここ数年と近年の会社の売上推移や、得意先毎の売上などの資料が配られました。部門的には、社長、坊っちゃん、先輩が「営業販売」、僕が「WEB販売」と言ったざっくりした部門です。

会議が始まるやいなや、社長から開口一番「5年前には今の2倍、10年前には3倍程の売上があった、もっと頑張って売上を上げないと会社が潰れるぞ!」とのいきなりの叱咤が。矢面に立たされたのは営業職の先輩で、昔の社員さんの成績との比較をはじめ、会社全体の過去の売上などを元にした叱責が次々と続きました。

売上は資料によると、数年前から大きく下がっていた売上が、ここ数ヶ月で徐々に回復しているような状況です。多少上向いてはいるとは言え、従業員に更なる結果を求めるのは企業として当然の事なのでしょう。しかしここで問題だと思うのが、叱責の対象が営業職の先輩一人に集中している状態なのです。

WEB販売も、大きな売上があるわけでは無かったのですが、BtoCと言う体質上、利益率が卸よりもいいため、僕はさほど責められる事もなかったのが更に気の毒な状況です。先輩の営業成績はと言うと、社長には及ばないものの、WEB販売よりも、坊ちゃんよりも売上がある状態です。何故、叱責の対象が坊ちゃんに向かないのか?

更に理不尽な事に自分の成績は棚に上げて、先輩に上から叱咤する坊っちゃん。立場的には間違ってはいないのかもしれませんが、自分の成績は自分が一番わかっているはず…。まず自分の反省が先ではないのか? いずれ後を継ぐのが決まっているなら尚更…。

一通りのお説教が終わり、「じゃあ、各々で考えて売上を作るように」と、打ち切るような形で会議は終了です。普通そういうものなんでしょうか? これからどうやって売上を伸ばしていこうか? と言うような、今後の会社の営業方針などを話し合う場ではないのでしょうか。

甘えだと思われるかもしれませんが、経営者や上司であるなら、やり方や考え方をレクチャーしたり、アドバイスをした上で、それに従わなかったり結果が伴わなかった時に叱咤をするような立場なのではないのでしょうか? 部下にやり方も責任も丸投げして、結果だけを求めていくような、この会社のスタンスが垣間見えた瞬間でした。

その後も同じような会議が毎月続くようになり、同じように先輩一人が責められる状況が続き、程なくして先輩は退職されることになりました。元々、営業畑から独立して会社を興した社長だったので、営業職には特に厳しく当たる節があったように見受けられます。結果を求めることも自分と同じ職種の部下を叱咤することも理解できますが、何故に坊っちゃんにも同じように叱咤しないのか? そして何故、親子どちらかがフォローをしないのか?

「きっと同じような事が過去にも繰り返されてきたんだろうなぁ」と苦笑いしながら荷物をまとめていた先輩が変に印象的でした。先輩は先輩の考えで、この人達の考えにはついて行けないと早々に見切りをつけたんでしょうね。

かくして、実質社員一人となった僕は、これからどうなっていくのだろう? と不安を抱えながら、奮闘の日々は続いていくのでした。

それでは今回はこのへんで、ごきげんよう。

副業サラリーマンができあがるまで⑬ ~一皮むいちゃいました~

「親思ふ 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん」  (吉田松陰)

自己紹介がてら振り返る歴史⑬

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嗚呼、この美しき親子愛

入社以来、この会社の様々な謎を抱えたまま、その遍歴の一部が垣間見えてきた頃だったのですが、色んな所で色んな情報が交錯しすぎていたため、僕と先輩は働いて長いパートさん達に少しずつ情報の裏取りをしていく事にしました。すると、親子談のストーリーとパートさん達の見てきたストーリーで話が大きく食い違う事に僕達は愕然とする事になります。

地元の高校を卒業後、世界的なビジネスと英語を勉強する為に海外の大学に進学し、帰国後はファッション関係の会社で働き、その後、会社を創って独立し、経営者となったものの、父の会社を継ぐ為に会社を畳んで帰郷し、現在に至ると言う坊っちゃん、と父親である社長から聞いていた僕達ですが、色々と聞いていった上で、社長から聞く話とパートさん達の語る話には大きな誤差があったのです。

パートさん曰く、海外の大学に進学するも卒業までに至らず、帰国後に会社を創ったものの倒産、その後、今の会社に入るものの、父親と喧嘩を繰り返した後、新たに会社を興す、しかし経費を父親の会社に回すと言う暴挙などにより再び揉め、また会社を畳み、再度また戻る、など、様々な事件を経て、今に至る、と言うのが現状のようです。さすが女性は情報が早い、そして詳しい(笑) そして、あのサクセスストーリーはなんだったのか(笑)

しかし、どれだけ揉めても親子は親子、最終的には親が折れて、息子のどんな失態もわがままも受け入れて許してしまうのがこの場合、最大の悪だと思うのです。元々会社の屋台骨を支えてきた過去の社員さん達は、そんな坊っちゃんとぶつかる度、正しさよりも息子可愛さを取る親子愛に嫌気がさして辞めていった方がほとんどだった、と言うのがどうやら現状のようです。仕事があまりにもできすぎて、ほかの社員の仕事まで取ってしまい、肩身の狭くなった人達が次々と去っていった、という話も、盛りに盛られたフィクションだったんですね(笑) 恐らくは新しく入社して下で働く僕達が、坊ちゃんに敬意を持てるように、気を使って盛り上げたのだと思われます。

しかしながら、実際の状況などは当時も今も、残されている数字を見ればどれだけ脚色されているのかは、火を見るよりも明らかですし、ギャップとは恐ろしいもので、ハードルが高く高く積み上げられた分、引っかかってコケた時の衝撃もまた大きいのです。

やっぱりどこの会社もこういう状況ってあるのでしょうね、前の会社の仕事のできない二代目社長の、トントン拍子のごぼう抜き出世劇を見ながら、「血ってのは汚いねぇ」、としみじみ言っていた先輩の事を思い出しました。それと同じ、いや、それ以上に嫌~な臭いがしてきましたが、大丈夫なのか? この会社は? 次々とメッキが剥がれていきながら話は次回に続きます。

それでは今回はこのへんで、ごきげんよう。